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2014年1月17日 (金)

この日はいつも首都直下型地震のことを考える

 19年前の今日、私は居間にあるテレビの前で、もうすぐ1才になる長女を抱いてうろうろしていた。東京から草加市に引っ越して3か月ほどたった頃だった。

 私の両親は当時仕事の都合で震源地の近く、神戸中央区にあるマンションに住んでいた。いったいどうなったんだろう。見覚えのあるビルや道路がテレビ画面に映っていた。
 頭が空白になっていた。何を考えていたかあまり覚えていない。午後になって、仕事場にいた父から電話が入り、全員が無事であることを知った。
 たまたま妹が帰省していて、妹はそのまま居残り、両親はエレベーターの動かないマンションに何とか住み続けることができた。

 3月になって、長女を連れてマンションを訪ねた。
 まだ電車は全線開通しておらず、途中からタクシーに乗り換えて向かった。震源地近くになると、道の両側に壊れた家が広がっていた。

 地震発生当時まだ暗くて、停電して何も見えず危なくて動けず仕方なくもう1回寝て起きてびっくりした、7階まで水を運ぶのは本当に大変だった、お風呂にずっと入れなくて困った、ガスがなかなか復旧せず電子レンジ料理が得意になった、といろいろ話を聞いた。


 長女は今年成人式を迎えた。
 あれからもう19年たつのか。
 両親は父が仕事を辞めたのを機にそこのマンションを引き払い、関東の老人ホームにいる。

 この、「阪神淡路大震災」はそんなに昔のことに思えない。
 テレビ画面に映っていた、街の複数の場所から煙が出ている風景、倒壊した高速道路。ぺしゃんこにつぶれた生田神社。倒壊した店。ひび割れてずれたビル。途中の階がつぶれた銀行。リアルに知っている場所だっただけに、記憶の断片がいつまでも鋭く光っている。

 だから、東京で直下型地震が起きたらどうするのか、この日は特にいろいろ考えてしまう。
 いつ起こるのか分からないけれど、私が生きているうちに起こる確率が高い。もし東京オリンピック開催時に発生したら………。

 とこんな原稿書いていたら連続で小さい地震が。

 震度3でもびびるといわれている地震の無い国の人を、どうやって「おもてなし」するんだろう。難しい問題だ。

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