「草生人2014年冬号」配布中。
今回、「草生人サポーター」を募集している。詳細はまた別の機会に。
さて、堀江貴文氏の『ゼロ』。
これを読んで「眩しい」と思った。気持ちを新たに頑張ろうとかそういう感想は出てこなかった。どちらかというと切なかった。
なぜか。
それは私自身が、「仕事」を辛く耐えるものなんて考えたことがなく、しかもやりたいことで起業したという、この本お勧めのルートをたどり、太字で書いてあることはたいてい理解(という言い方おかしいけど)している、だけれど、「ぜんぜんうまくいってないから」だ。
同じように「考えて」も、うまく行かない人の方が圧倒的に多いんじゃないかなと。自ら考えて「仕事」をしてちゃんと稼げる人は、多分ごく少数の人だろうと思う。
それに、『ゼロ』にも書いてあるけれど、時間は有限だ。
家庭を持っている場合、家事育児に費やす時間が必要だ。仕事に没頭するためには家事育児をしてくれる人が必要になる。仕事だけできたらどんなに楽か。もちろん、育児が嫌いって訳じゃない。優先順位をつけて回してかなくちゃいけないことがきついのだ。どれも中途半端になってしまう。
思う存分仕事したい、思う存分子供と向き合いたいって、どんだけ思ったことか。
もちろん映画を見たり旅行したりという自分の趣味だって満喫したい。
結局これらをうまく回していく能力は、誰にでも備わっているものじゃないのだ。
って結局グチになってしまった。
とりあえずメルマガで書いた仕事に関するテキストを再録。
「好きを仕事に」or「仕事を好きに」
「仕事」って何だろう。
Goo辞書によれば、
1 何かを作り出す、または、成し遂げるための行動。「やりかけの─」「─が手につかない」
2 生計を立てる手段として従事する事柄。職業。「将来性のある─を探す」「金融関係の─に就く」
3 したこと。行動の結果。業績。「いい─を残す」
(以下略)
一般的には、「2」のことを指すと思う。
私の仕事は、『「草生人」というタウン誌を編集制作すること』だ。そして、アシモズという会社を「経営」すること。
仕事が「生計を立てる手段として従事する」という定義なら、今私は「仕事」をしていないことになる。
なんてこった。いや、とりあえず今は利益をほとんど出しては居ないが、いずれ出そうと努力しているわけだから、「趣味」ではないだろうとは思う。
いやマジ利益出さないとほとんど自営業なんでうちの家族生きていけないんですけど、まあいいか………(いや、よくないです(^_^;)。
で、「仕事」の話。
「好きなこと」を「仕事」にできている人は、どれくらいいるのだろうか。
「仕事」を「生計を立てる手段」ととらえ、好き嫌いとは別に考えている人も多いと思う。
「就活」のニュースを見る限り、「好きな仕事」「やりたい仕事」にこだわっていたら就職できないんじゃないかという印象はある。
私自身は、普通の就職というか、いわゆる就活をしていない。
大学生の後半から始めた町の小さな書店勤務を卒業後も続け、さすがに20代後半になってヤバイと今度は出版社の下請け企業となる小さな「編集プロダクション」に入った。
今の言葉でこの状況を説明すると、「大学卒業してからまともに就職せずフリーターとなり、その後ブラック(小)企業に入った」という悲哀のある状況となる。
が、中身は違う。
書店は給料的にはバイト扱いだったが、コミックと文庫の担当を任され、かなり好き放題やっていた。朝の新刊のチェック(検品)は、さまざまなジャンルの本や雑誌を見ることができて楽しかったし、営業の人と話すのも面白かった。
バイトという自由な身分を利用して、年に1、2回1週間くらいの休みを取り、国内一人旅をしていたのもこの頃。
その後に正社員となった編集プロダクションでは、しょっぱなから原稿書いたり子ども向け学習漫画のラフ(流れを書いた下書きのようなもの)作ったりと「制作」の現場にどっぷり。「仕事」として納期があること(明日が〆切なら徹夜してでもあげなければならない)、社長のチェック(書いた原稿やラフ、「これじゃぜんぜんわからん」「こんな中身無いのやり直し」とかめちゃくちゃダメ出しされていたこと)など、辛いことも多かったし給料もかなり安かったけれど、でもやりがいがあった。
仕事によっては、こんなことして給料もらえるなんて素敵、と思ったくらいだ。
公開前の映画をたくさん見ることができたとか(映画紹介記事)、天文台のあるペンション紹介のために実際に2日かけて行ったとか。学習漫画を書くためにたくさんの漫画家さんと出会って話すのも楽しかった。
この仕事は「出版物としてのモノ」を作っていく、そこに魅力があったと思う。
ただ、この「編集の仕事が好き」と認識したのは、仕事を始めてからだ。編集仕事がこういうものである、ということは、経験して初めて理解した(人に説明できないってことは以前のコラム参照)。
これはほとんどの「仕事」に言えることなんじゃないだろうか。もちろん専門的な知識と技術の習得が必要な仕事はそうとは限らないとは思うけれど、やはり経験しなくてはわからないことは多いと思う。
「好き」を「仕事」にできるか、「仕事」を「好き」になれるか。
とりあえず、自分の娘には「やりたいと思ったことをやれ、それが「仕事」になるかどうか、それを生かせる仕事があるかどうかは別問題」と伝えている。