« 2013年11月 | トップページ | 2014年1月 »
昨日アップするはずが、アタマぐるぐるでまとまらず持ち越し。
今でもまとまってないんだけれど、今期のドラマが次々最終回になっているのでちょっとだけ感想。
「安堂ロイド」がかなり遊び入っていることは、スタッフ見てもわかる(詳しくはリンク先Wikipediaを参照)。
最終回の小田和正にはびっくりしたけれど、ここを「ださい」とか言うのは野暮というもんでしょう。竹内まりやの曲使ってるだけでも充分「わかっててやってる」んだし、キムタク起用も全部含めて壮大な実験(^_^;)だったんだよね。
ゴールデンタイムのドラマでアニメチックな実写SFがどれくらい受け入れられるかってことの。
そのままアニメになりそうな設定、最終回を迎えても穴がボロボロ。ただ、一応ドラマ的には完結しているので(いや、最後あれはターミネーター的な展開なのか?ん?)説明不足はBlu-ray/DVDボックスのディレクターズカット版とかで補う予定と。
SF(系)アニメで、社会問題とか普通なら恥ずかしいような愛とか正義とかを真っ正面から語らせることはよくある。「安堂ロイド」も脚本はそんな傾向あった。第9回は少しうるうるしてしまった。
SFもアニメもなじみの無い人にとっては「駄作」なのかな。キムタクとか関係無く。というか、キムタク出てなかったら、きっと視聴率は数%だったよね。
BOX買う余裕無いので、かわりにノベライゼーション買うか。
もちろん、生まれが草加市ではないので、古くからの知り合いが居なかったというのも大きな原因ではあるけれど、それでもちょっと一抹の淋しさがよぎるのであった(^_^;)
NHKの「ハードナッツ」、おもしろい。録画を消化中。スイッチ切れたときにはなかなか最適。
明日は頑張らなくちゃ。お休みなさい。
ここ何年かで急激にできている気がする。
草加について思うこといろいろ。
朝なんだかやけに長文をアップしたために、こちらの話題に触れるのを忘れていた。一応登記が2011年の12月1日なので、今日でちょうど2周年。よく保った。
いや、たいしたことを書くつもりじゃないんだけど、この「昭和生まれのオッサンが見てきたインターネットの世界」が、私とかなり違うので、「昭和生まれ」ではくくらないで、70年生まれでくくるとかして欲しいと思ったりしたのでちょっと書いている。
私の生まれたのは1959年。
リンク先のWikipedia見るとわかるけど、教育テレビが放送開始とか南極のタロジロ生存確認とか皇太子ご成婚とか少年マガジンとサンデーが創刊されたとか伊勢湾台風とか(中部地方に住んでおり自宅が床下浸水したらしい)なかなか賑やかな年だ。ってこれは関係無いな。
大学時代にはまだワープロも普及していない(最初のワープロが1978年で何百万するヤツだった:Wikipedia:ワープロ)。
1980年代に編集プロダクションに入社してから(大学卒業してからしばらくは書店勤務)ワープロを使うようになった。
その後徐々にパソコンでの作業が増えた。
会社ではパソコンを使った社内向けCAIシステム(教育システム)も手がけていたから、NECの9801とかあった。5インチのフロッピーディスクなんて化石だな。
当時はMS-DOSの時代で、ネットといえば「パソコン通信」の時代。Wtermでごく簡単なスクリプト書いて自動巡回設定してたっけ。まあ古い。パソコン通信は、使い方的にはテキスト版mixiと表現してもいいのかな、会社別の、閉じたネットワークの中での通信サービス。
青い鳥文庫でパソコン通信を使った人気小説があったけどどうなったのかと思っていたら(パスワードシリーズ)、時代に合わせた形に直したものが順次刊行されてる。うちこれ全巻あって、娘が楽しみに読んでたんだけど、すでに第1巻のころには「パソコン通信」衰退期だった、気がする。
しかしパソコン通信なんていう言葉を知っている人も少なくなっちゃったんだろうなあ。当時のNiftyのIDを持っている人がたまにいて、うれしくなったりする。
1990年代の始め頃、仕事でもDTPの仕事を扱い始め、Macintosh+QuarkXPress3.3 を使い始める。そのときMacintoshというパソコンがとても気に入って、結婚祝いにMacintoshIIciを買ってもらった。当時はかなり高かったんだよね。結婚式とか新婚旅行とかが全部化けたようなもんかな?(私は女性だけどそういうものにあまり興味が無かった(^_^;))。
その後出産のため退社、自宅でもできる仕事ということで、「パソコン通信」の管理業務をしてた。
「インターネット」が登場したときには、すぐに飛びついた。まだプロバイダ(インターネット接続サービス)が4社くらいしかなかった時代。使っていたのは「Rimnet」。
インターネット+Netscape Navigatorで見るさまざまなWebページはけっこう感動した。一番実感したのが、Macintoshの新製品発表の速報を、米Appleのサイトで直接確認できたとき。
今ごくごくふつうに世界中の様子がリアルタイムにわかるしやりとりできるけど、当時はびっくりだったんだよなあ。不思議。
そしてだんだんインターネットに接続することが普通になってくる。
でもまだADSLではなく常時接続でもなく細々と繋がっている感じ。
実は自宅で基本仕事をすることになって、会社で半分接続費用をもってもらって、当時としてはめずらしく個人で常時接続の環境を整えてもらっていた。ルータを利用して複数あったパソコンを繋いでいたから家じゅうケーブルがくねくね。ただ、セキュリティを最初気にしてなくて、事情知ってあわててその手のセキュリティツール入れて確認したら、ものすごい勢いでアクセスされてて焦った。Macintoshだったし、ルータ経由してたこととかで特に問題は無かったと思うんだけど、もしかしたら何かあったかも。まあ時効。
携帯電話(DDIポケットのPHS)をGETしたのもその頃か。
Newtonも一時はまった。日本語環境が無い時期に買ってしまったのでかなり苦労した。元祖「PDA」で、今思うと時代的に10年以上早かったかもと思う。PDAといえば、Newtonの次に購入したのがPalmOS搭載のVisor 。そしてソニーのCLIE。
その後スマホの走り的な「W-ZERO3[es]」も使っていたけど、小さなパソコン以外の何物でも無く、いまひとつだった。
パソコン通信の後は、JustNetが運営する掲示板に参加してた。
「ホームページ作成質問箱」というフォーラムのシスオペやっていて、かなり盛況だったんだけど、フォーラムが中止になっておしまいに。
2000年前後はこの手のインターネット上のパソコン通信的コミュニティにいくつか参加していたけれど、それほど盛り上がってなかった記憶がある。
mixiに入ったのは2005年ごろだと思うけれど、足跡機能とか、どうも密なコミュニケーションが苦手なのでだんだん疎遠になる。
で、個人的にはiPhoneの登場が一番インパクトが強かった。softbankじゃなかったので「必ず通信機能をはずしたものが出る」と信じて待って、初代iPodtouchをすぐさまGET。これこそPDA!と感動。
iPodtouchは今でも現役。娘がiPodとして使っている(バリバリ使っていた「iPodnano」をなくしてしまい、そのかわり)。
今ざっと読み返して見て改めて思ったけど、「ゲーム」という要素が無いね。
地味だ。
なぜか「ゲーム」は好きになれなかった。パソコン用のインタラクティブ系ゲームもほぼやってないし、一時期はまっていたのは「上海」くらい。
なので、テレビゲーム機は買わなかった。子供のいる家庭でテレビゲームが無いのは意外とめずらしかったみたい。そのかわり、携帯ゲーム機は買ってたんだけど、ね。
だんだんめんどくさくなってきた(^_^;)長文だな。
ちなみに、タウン誌を作ろうと始めた会社ではあったけど、実際には将来的に電子書籍をちまちま出せる小さな出版社としてやっていこうと考えていたから、最初は「投資」と称して調査目的で当時の電子書籍端末を一通り揃えていた。
いやー贅沢な話だな~(遠い目)。。
SONYタブレット、kobo、もちろんKindle、KindelFireとかありますとも。全部ほぼ初代機だけど。
しかしタウン誌出すだけで精一杯で、「電子書籍」を出版することがなかなかできなかった。
いや、一応ちまちま出してるんだけれど、本当に売れない。宣伝してないから売れないのは当たり前か。
もともと「何かを仕入れて売る」商売ではなく、「コンテンツを作って売る」方向を目指してしまったので、これがあまりに甘かったということだろう。
とりあえず以下にいろいろリンク。
万一ここまで読んでくれた人がいたらありがとう。
パブー ASYMOS
※さらに改めて読んだら、「インターネットの世界じゃないじゃん?」って思った。うーん。パソコン黎明期から使っているとこうなるわなあ。
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |
8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 |
15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 |
22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
29 | 30 |