前から来る人が見えない「緑内障」
緑内障にかかっている。
視野が狭くなってくるアレ。視神経がじわじわ死んでいくもので、見えなくなったところは今の時点では復活するという治療法は無い。
15年かそこら前に新聞に載っていた視野テストみたいなもので気がついた。
が、特に日常生活に不自由はしないので放って置いた。これがダメダメであると、緑内障のすべての説明ページに書いてある。
10年くらい前にやっぱりヤバイのではないかということで近所の病院へ行き、獨協埼玉病院への紹介状を書いてもらって診察を受けた。
それなりに進行している緑内障であると診断を受け、目薬をもらって通うことになった。しかし、獨協埼玉病院への通院は1日がかりだ。会社を休まねばならない。なのでまたしばらく放置。数年前にやっぱりヤバイと、以前通っていたご近所の病院へ逆戻りして今に至る。
一応ちゃんと通院している。
で、何回かおきにやらねばならない「視野検査」というのがとっても疲れる。視野がどれくらい欠けているかを具体的に確認する検査だ。
片目ずつ、真っ白のおわんのまん中をずーーっと見つめながら、視野のどこかで光の点が見えたらスイッチを押す。見えないところは見えてない。視野が欠けている。シンプルだ。
だが、ずーーーっと見ていると、見えているんだか見えてないんだがよくわからなくなってくる。
そして、しばらく光が見えない時間が続くと、私の視野はもうどんどん浸食されて、ヤバイことになってるんじゃないだろうか、という疑心暗鬼に悩まされてますます目がチカチカしてくる。
視線がゆらぐと、機械的な声で「チュウオウヲミテクダサイ」と注意される。いやちゃんと見てるから、と心の中で悪態をついてはよ終われと思う。
これ何分くらいなのかな、いつも長く感じるんだよね。
寝不足だったりパソコンをずっと見た後は確実に悪そうな気がする。
今のところ日常生活にはほとんど不自由はない。
ただ、道を歩いているときなど目線が下になっていると、真正面から近づいてくる人や自転車に気がつかないことがある。
こっち向いているのに気がつかないのかしら、と思ったお知り合いの皆さま、すみません、見えてません。ごめんなさい。
「緑内障」であることで一番不自由したのが、保険の契約だ。
これ以前もfacebookだかどこかに書いたけど再度書く。
どちらだったか忘れちゃったけど、以下の病気の人は申告してくださいという項目の中に「緑内障」があったので、ダメなら書類書いて出す時間無駄になると思い問い合わせたら、とりあえず出してみてくれないと判断できないとか何とか言われて、出してみたらやっぱりダメだった。
おい、規約読んで書類書いた時間返せ。
改めて電話して問い詰めたら、一覧に書いてある病気にかかっている場合は一発ダメだったらしい。それなら最初に問い合わせたときにそう言ってくれればわざわざ書類出さなかったのに。病歴の個人情報だけが渡っってしまった。。と、ここまで書いて気がついた。そうか、情報を集めるためなのかもしれないな。うーむ。
そんなこんなで緑内障とつきあっている今日このごろ。
ただ、現在は治療法は無いってことだが、「ES細胞を使った視神経の再生」という方法が将来的に開発されるかもってことなので、生きているうちにできればいいなと思う。
しかし「治療」できないのに、目薬に「治療薬」って表記してあるのはあれ嘘だよね、ね。
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