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2013年11月27日 (水)

受け取ってもらえない「タウン誌」

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 11月24日=「街グルin草加」「百縁商店街」「街の音」とトリプルイベントの日、朝8時すぎから会場をうろうろしていた。

 なぜかというと、会場(草加小学校校庭)に配布用の「草生人」をセットするラックを置いてもいいよと許可をいただいたからだ。仕事場からえっちらおっちらとラックを運んだ。

 設置したら足の部分が1つ無くて、仕事場と草加小を往復したのち、最初にラックを下ろした場所、設置場所から1mくらいのところの砂に埋もれていたのを発見したときは脱力したけど、まあそんなこんなで最新号をたっぷりセットしたラックを置いてきた。場所は商店街パネルの端っこ。

 「街グルin草加」は、「草生人増刊号」のインタビューにあった通り、草加市商店連合事業協同組合(商連)の主催で、市内の商店会宣伝パネルが会場の校舎側に設置された。スタッフのどなたかが「文化祭みたいだね」とおっしゃったように、手作り感溢れる掲示物が多かった。
 そのパネルの端に、ラックを置かせてもらったのだ。各商店会の説明を読んできた人が、これに気がついて手に取る、というようなイメージを抱いていた。

 が、そのイメージは完璧に裏切られた。

 会場にいる間、ちらちら見ていたが、そこから「草生人」を手に取った人がほとんど居ない。だれも見向きもしないのだ。通る人が少ないわけでは無い。パネルの裏側には校舎がある。そのスペース、木々が植わっている花壇や校舎の壁から続くコンクリート面で座り、ゆっくり購入したグルメを食べていた人が多かった。そこへの通り道になっていた。

 
 取っていく人が誰もいないので、と配付することにした。

 会場を通り過ぎる人に対して「主催者インタビューが掲載されているタウン誌です、どうぞ」と声をかけて。
 そこで改めて、「タウン誌」というものの言葉の持つ意味を考えてしまった。半分ほどは受け取ってくれたが、半分ほどの人は通り過ぎていく。

 まあ我が身を振り返れば、街で配付しているちらしを受け取ることはそんなに多くない。無視するか会釈して通り過ぎるか。
 悲しいんだねこれ。

 そういえば突然思い出した。
 「ちらしはなかなか受け取ってもらえない」というのを初めて体験したのは、確か大学生の頃、学祭のちらしを配付する手伝いをしていたときではなかったっけ。

 後半は、テーブルに座って食べている人に対して置いていく戦法をとった。
 手渡しは受け取ってくれないと重力の法則で落っこちてしまうので中止せざるを得ないが、「置く」という行為は無理矢理でも可能だ。
 ともあれ、なんとかラックに詰めた分の3分の2くらいは配付できただろうか。
 しかし、バンバン配付するつもりで持っていった200部の束は、そのまま砂だらけになって残った。

 
 本来なら、「草加ふささら祭り」のときに持っていってその場で手渡しで配るべきだった。表紙が「よさこい」だったから、「街グルin草加」の時よりも注目度は高かったはずだ。

 が、イベント当日は制作がなんとかイベントに間に合ったという安堵感と、風邪気味という体調不良、それでも取材(写真撮影)をしなくちゃという危機感で頭がぐるぐるしていた。その場に持っていって配付しようという企画を思いついたのは2日目の昼ごろだった。
 自分でできなくても、だれかにお願いすることはできたはずなのに。

 せっかく「踊るん♪よさこい」「ロボットフェスティバル」「ラジコンカー」の主催者インタビューが掲載されていたのに、事前に読んでもらえるチャンスを逃してしまった。
 後悔先に立たず。

 とりあえず、今「草生人」本誌記事を、手軽にスマホで読めるよう作業をしてます。
 なんとかしなくちゃですね。
 

 ちなみに「街グルin草加」では、商店会紹介パネルのうち「市役所通り商店会」のパネルを今回お手伝いさせていただいた。これについては別の記事で。


草生人メールマガジン 2013年11月25日号 編集部日記掲載)

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